映画『沈黙ーサイレンスー』(ネタバレ注意!)
遠藤周作原作の小説をマーティン・スコセッシ監督が映画化した話題作。映画好きな方はもうどんな作品かご存知だろう。
アンドリュー・ガーフィールドが主演し、日本からは浅野忠信、窪塚洋介、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、そして脇役として片桐はいりが出演するなど、日本人としては日本の映画かと思うくらい日本の役者が全編にわたって登場し、日本語が飛び交った映画であった。
キリシタンを取り締まる筑後守をイッセー尾形が演じ、世界中から絶賛されている。私も彼の巧妙な演技にはただただ見入ってしまった。ポップかつシリアスな彼の表現は他の誰でもできない芝居であったかと思う。彼はあるメディアのインタビューで、今までやってきた一人芝居で得たものを全て発揮したと語っていたが、まさにそんな感じ。まだ『沈黙』を見ていない方は彼の演技を見るだけでも一見の価値があるというものだ。
また、IWGP(池袋ウェストゲートパーク)で有名な窪塚洋介も最高だった。彼はこの映画の超キーパーソンとして登場するけども、若かりし頃に見たような心に芯のある不良像は今回の映画には全くなく、私たちの見慣れた役どころとはちょっと違って、なんの信念もなさそうさ弱きものとして描かれるキチジローを演じていた。彼の演技もかなり良かった。
映画のタイトルは沈黙。
「神は答えない」
この言葉が映画後半で畳み掛けるように頻出するようになる。殉教していくキリシタンを目の前にして宣教師が悩み苦しみ、神に自分の進むべき道を問うても、神はただ沈黙するのみ。
「わたしは主のために何をする。あなた(神)の沈黙がこわい。」
キリスト教を棄教することを当時は「転ぶ」と言ったらしいが、アンドリュー・ガーフィールド演じる宣教師ロドリゴは死が迫るキリシタンに対して転べ!棄教しろ!と叫ぶも、状況は依然として変わらない。彼が変わるか、日本が変わるか、どちらかでなければ殉教者は増え続ける。殉教者は神のために死んでいるのか、彼のために死んでいるのか。
その中で私がこの映画の核心であると勝手に思っているのはこのセリフ。
「私も神に祈った。祈るがいい。なんの役にも立たん。」
「あやつは自分のすべきことをした。それだけじゃ」
この映画を見ると、こう考えさせられる。
究極の選択を迫られたときに魂に誓って自分の正義を貫けるか。
魂を貫くことだけが本当の正義なのか。
これの答えはそういうことが目の前にやって来た時に初めてわかることだろう。
この映画を私は三人で見に行った。
映画館の前の方に座り、私は狭い座席列に一番最後に入り一番左に座った。
この映画は終始シリアスな内容であった。
真ん中に座った友人は終始、沈黙を続けていた。